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とある女子の身の上話(lie or……?)

とあるSNSのフォロワーさんのブログを見て衝動的に吐き出したくなっただけなので、とある一人の女(仮)の吐き溜め場だと思って読み流してくださって結構です。


私は産まれたばかりのころは何もなくて健康体だった……と思っています。なぜこうスッキリしない言い方をしたのかというと、私は産まれて暫く経った頃、高熱を出して病院に連れていかれたそうです。そこで医者に診断されたのが「脳性麻痺」。
ここで話は逸れますが、脳性麻痺のことについてご存知でしょうか?調べてみたところ乳児1000人に対し2人〜4人の割合で発症し肢体不自由、という症状が多く見られるようです。私は先天性の脳性麻痺で肢体不自由になってしまったのです。主に下肢ですが……下肢と、身体全体の筋力の発達が他人より遅れている、と言った方が分かりやすいかも知れません。おかげで私は幼少期から歩く時は常に内股で、ハイハイを卒業したのも他人よりだいぶ時間がかかり、保育園から高校までリハビリ治療のために病院に通っていました。
理学療法士(PT)と作業療法士(OT)が常に付いていた状態でした。理学療法では腹筋を鍛えたりちゃんとまっすぐ歩けるように、などとても辛い訓練ばかりでした。作業療法では生まれつきの脳性麻痺のせいで手先が不器用で細かい作業が出来ないのでそれを補う訓練をしました。箸をちゃんと扱えるようにする訓練、たくさんの図形の積み木を組み合わせて一つの大きな図形にする……いわばパズルみたいなものもしました。先ほど手先が不器用だと話しましたが、私が細かい作業をしようとすると(例えばシャーペンに替芯をペン先から入れる時など)異常なまでに手先が震えるのです。他にもたくさん色んな訓練を受けてきました。

保育園に通っていた頃の私はただ「足が悪いから」という理由で病院に通っていると思っていました。しかし、現実は不意に突きつけられるものです。今でも忘れはしません。小学四年の時でした。担当の先生が「〇〇ちゃん、(リハビリの)計画書にサインしてくれるかな?」と、一枚の紙を渡しました。私は何も疑うことなくその紙を受け取りサインをしようとしました、その時でした。傷病名に「脳性麻痺」の字が見えてしまったのです。また話は逸れますが私は昔からクイズ番組を見るのが好きで(ネ〇リーグ、アタッ〇25、〇さま!!等)母親と難読漢字の問題が出てきた時は読める読めないの勝負をよくしていました(今もやってます笑)。しかし、その特技がこの場合裏目に出てしまったのです。


目の前が真っ暗になりました。

絶望しました。

私は他の人と違うんだ。

私は普通じゃないんだ。

どうして私は産まれてきたんだろう。

どうして母親は私を産んだんだろう。

他人が憎い。

いっそのこと養護学校に入れてくればよかったのに。

そんな劣等感に苛まれるようになりました。



当然親からは「脳性麻痺のことは誰にも喋っちゃダメだよ」と堅く言われました。

その頃から私は少し無理をするようになりました。「持久走大会走れる?」と担任の先生に聞かれれば「頑張ります」と返すようになりました。本当は走りたくないのに。でも周りの視線が怖い。「どうしてあの子は特別扱いされてるの?」そんなことを思われてるに違いないと思ったからです。

特にそう思ったのが中学の時の体育の時間でした。他の子が

「あ〜無理だ〜〜私運動出来ないんだよね(笑)」

と失敗して言う度に腹が立ちました。

「何でそんなに簡単に投げ出せるの?私はやろうと思ってもこの体のせいで全然出来ないのに」そんなことばかり思い始めるようになりました。罪悪感と憎しみでいっぱいでした。思えば中学時代は周りは運動神経が抜群な女子がたくさんいたんだと思います。おかげで中学時代はあまり楽しくなかった……というより記憶がほとんどありません(笑)

小学から中学までは「私って足が不自由でさ〜(笑)」と同級生には説明していましたが、高校に入ってからは言わないようにしました。というよりは「言う必要がない」と感じました。高校のクラスメイトは本当に問題児ばかりで、キレると物にあたる男子もいれば(笑)その男子とカップルになってはしょっちゅう喧嘩して周りに迷惑かけて結局二人揃って学校辞めたりとか(笑)元いじめられっ子がたくさんいるとか、そんなクラスでした。そんなメンタルが腐りきった集まりの中で私の障害の話が通用するとはとても思えなかったのです。

時は流れ高校3年の時です。私は高校を卒業した時に自動車免許を取得しました。しかし、そこまで辿り着くには色々ありました……といってもそこまで大したことではないのですが。車校の入校式の時です。アンケート用紙みたいなのを記入する時間があったのですが、そのとある項目で私の頭の中は真っ白になりました。具体的にいうと次のようなことです(以下抜粋)

『2014年6月1日から施行される改正道路交通法では、運転免許の新規取得や更新時に病気等に関する質問票に回答することが義務化されました。改正された理由は、意識障害を伴うてんかん睡眠障害の運転者による死傷事故が相次いだことにあります。事故を起こした運転手が、いずれも病気についての申告をしないで更新していたことが問題となりました。改正前も免許更新申請書などの裏面には「病気の症状等申告欄」というものがあり、病気等の申告は必要でしたが、任意であり罰則も設けられていませんでした。改正後は、病気の症状等申告欄が「質問票」へと変わり、回答することが義務となりました。罰則も設けられ、虚偽の回答をすると「1年以下の懲役、または30万円以下の罰金」が科されることになります。』



私はこの事実を知った時、震えが止まりませんでした。その時は既にリハビリ治療をやめ、日常生活に支障はない程度にまで回復していました。しかし、それでも障害は障害。軽度でも障害。不安で胸が押し潰されそうでした。ここで正直に自分のことについて書くべきか…………、結局その時は少しだけ本音を書きました。当然その後は校長に呼ばれ、運動能力について色々テストされました。しかしどれも簡単に終わりました。
入校式が終わり、母が迎えに来てその帰りの車の中でのことです。私は障害のことについてどう話せばいいのか相談しました。
その時、母は言いました。
今でも忘れられません。
母は涙ぐんだ声で

「〇〇のことをちゃんとした赤ちゃんで産んであげられなくてごめんね」

そう言ったのです。私は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

母の要望で私の実習の指導員の方は母の昔の同級生のおじさんが担当してくださることになり、母は相談しました。
「うちの子は軽度の脳性麻痺なんだけど運転させて大丈夫なのか?」と。
すると担当の方は
「大丈夫。今までもそういう人をたくさん見てきて卒業させてるから。だから安心して。〇〇ちゃんは時間をかけてもちゃんと卒業させるよ」
そう言ったそうです。
それを聞いた途端私は泣き崩れました。
母はそんな私を抱きしめてくれました。
私みたいな不完全な人間でも赦されるんだ。
そう思えました。

そうして何とか時間はすごくかかりましたが(追加で何万払ったんだろう……笑)無事に免許を取って今も車で自宅から駅まで運転しています。


話はガラッと変わりますが、私には3つ年上の兄がいるのですが、兄も障害を持ってます。自閉症です。まず言葉を話せなければ会話も出来ません。障害者手帳もあります。そのくらい重度だということです。自閉症の人というのは自分の中で一日の生活のリズムが決まっていてそれを必ずこなさないと気が済まない、という特徴があります。うちの兄はそれに加えて聴力が異常に高く大きな物音にはよく耳を塞いでいます。人が鼻をかんでる時でさえ耳を塞ぎます。そんな兄も昔は夜中に暴れまくって母を困らせていました。物を破壊したり、ベッドを壊したり……数年たってやっと沈静化したと思えば、最近は通っている施設の入居者の時計をトイレに流そうとしたそうです。当然それを聞いた私たちは家の中の時計を隠しました。再び兄の症状は悪い方向へ向かっている、そう考えた母は、私が無事に専門学校を卒業して就職したら、 本格的に施設に入居させると決めました(今までは通所)。


そんな人生を送っていると私の周りの人の言動や態度にも不安に思うことがあります。

実は今の専門学校の私のクラスではこの子障害者なんじゃ……?って思う子が1人います。その子は何というか周りの空気が読めないのです。集団心理の欠如と言えばいいのでしょうか。簡単に言ってしまえば声を潜めるべき場所でも大声で話したり、他人から明らかに揶揄いという意味での無茶振りでも(例えば今流行りの芸人のギャグをやって等)何も疑問を持たずにこなしてしまう、といったことです。その子は男子なのですが彼を見てドン引き……に近い表情をしている人をたくさん見かけるのです。私は昔から兄の養護学校に参観に行ったりリハビリ治療を受けていたのもあってそういう方をたくさん見てきたので長年の経験とカンというやつですぐにピンときたのですが、他の人はそれが障害と気付いているのかどうかさえ怪しいのです。多数が「何あの変な人」ってなってると思います。
私はそんなに人達に逆に疑問を抱いてしまいます。
「その歳にもなって彼が障害を持ってるってことすら察せないの?」
と。
もうすぐ成人になる人や成人になった人もいるのに。

もう一つ。そんな人達(友人含め)を見ていると「もし私が障害者だってバレたら私もあんな目で見られるのかな」と。そう考えてしまいます。そんなきっかけで友人との距離が離れてしまうのは嫌です。もしそのようなことがあれば「ああ、所詮はこの程度の関係なのか」と割り切ることも出来るのですが。


私は今就活生で履歴書を書くなんてことはよくあります。履歴書にも一応障害のことは簡単に書くようにしてるのですが、とうとう担任から不安の声が。「もしかしたらマイナスになるから書かない方がよかったかもしれない」と言われました。まあもう相手の会社に送ったあとの話ですが。

案の定面接でも聞かれることになりました。「履歴書に書いてる下肢の障害のことについてなんだけど……詳しく話してくれない?」と聞かれました。やっぱりダメなのかな。そう思いました。私は最初はぼかしながら言っていたのですが面接官の方が「その自分の病気の名前とか分かる?」と尋ねられました。私は少し躊躇った後に「……実は軽度なんですけど、脳性麻痺なんです」と言いました。しかし相手の方は嫌な顔一つせずに、うんうんと頷いて私の話を真剣に聞いてくれました。もちろん私も「でも今はもうだいぶ回復して、日常生活に支障はないです!」と付け加えました。それを聞いた相手の方はとても安心した顔をしていたように見えました。
「でも障害があっても……こんなにたくさん資格も取って、成績も優秀だし、字も綺麗だし。すごいですね」と仰ってくれました。素直に嬉しかったです。まだ結果は来てませんが手応えは感じています。

ここでまた話は逸れますが私は障害のせいで運動が苦手な分、勉強で挽回するようにと親から昔からスパルタ教育(笑)を受けてきました(小学生時代の話)。毎晩隣に座って宿題をやると「どうしてこんなことも分からないの?」と散々言われ泣かされた記憶があります()百マス計算なんか毎日の恒例行事でした。算数の県版テストの前日に角度の勉強しようと思ったら学校に三角定規と分度器を忘れてしまい頭を思い切り殴られることなんてよくありました(笑うところ)
まあそんな厳しい中で勉強したおかげで小学生の頃はテストはほぼ100点でした。当時の友人には「〇〇って絶対5時間勉強してるでしょー!笑」と言われましたがそんなわけあるか(真顔)そんなん慶應受ける人間の勉強量だわ(あくまで個人の見解です)


……とまぁ、話は逸れまくりましたが、これが私の今までの人生です。見る人にとっては甘えだと思う人も多いと思います。


SNSで色んな人と関わってるとふと思ってしまうものです。「私も引きこもれるんだったら引きこもりたかった」と思うことなんてしばしばです。でもそんな経験をした人はその人にしかない倫理観を持っています。すごく尊敬しています。私の歪んだ倫理観とは大違いです。そもそも私があんな人生歩んだ所で真人間になれるはずがないのです。友人に対してだって不満で溢れかえっています笑
人間不信を味わった人間はマトモな人間には戻れないのです。少し状態がマシになったかな、くらいです。私は「親友」って言葉が苦手です。もし裏切られたらどうしようとかそんなこと考えてしまうので。だから言う時はいつでも「友人」です。こんな言い方をすると反感を買うと思うのですが「親友って簡単に口にする人は今まで何も嫌なこともなく能天気に生きてきたんだろうなぁ」と思います。裏切られたことなんか一度もないんでしょうね。羨ましいです。


自分の障害のことをこんなにオープンに話したのも初めてです。リアルの方では一度も口にしたことないのに(笑)

とにかく、私が一つ言いたかったのは、「健常者と障害者の見分けくらいつけるようになってほしい」ってことです。まだ幼い子なら分かりますがいい歳した大人なら……傍観したり嘲笑わないで障害者について理解することがいい大人なのではないのでしょうか。



長くなりましたがここまで読んでくださった方はありがとうございます。今までの話はフィクションなのかノーフィクションなのか捉え方はそちら側に委ねたいと思います。では。